ベックマン遠心機60周年記念インタビュー

『故渡邊 格先生が使われたベックマン(Spinco)超遠心機Model Lを、25年間守ってきた。
こんな時代があったのかと、若い人たちが思ってくれればいい。』

慶応大学名誉教授 清水信義先生は言う。ベックマンの超遠心機は分析用超遠心機 Model Eを1947年世界で初めて上市して以来、60年の歴史を刻んできた。その間、ライフサイエンス分野でより広く活用される分離用超遠心機Model Lを同年販売開始している。日本では、1960年代になり、Model EおよびModel Lを販売している。日本におけるベックマンの歴史はこの時から始まっている。「慶応大学医学部分子生物学教室の故渡邊 格先生が、いち早く日本第一号機を輸入され、日本の分子生物学の礎を築いてきた。私はその渡邊先生の功績に敬意を払い2代目教授として日本初のModel Lを25年間守ってきた。」と清水先生は言う。故渡邊 格先生は、2007年3月23日に90歳で永眠された。「渡邊先生は日本の分子生物学研究のパイオニアとして、モノを精製するには超遠心法が一番素晴らしいということを、理論的な考察をしながら進めてこられ、多大な貢献をされてきた。だから何でもかんでも新しい機器に取り替えるという風潮があるが、“思い入れ”も大切。渡邊先生への尊敬を形に残そうと思ったら、Model Lがあった。」故渡邊先生がModel Lをいち早く導入した40年前といえば分子生物学の黎明期で、日本で初めて名古屋大学に分子生物学研究施設が完成し、清水先生はこの名古屋大学のご出身でかの有名な“岡崎フラグメント”の故岡崎令治先生、現東京大学名誉教授の三浦謹一郎先生に師事された。三浦謹一郎先生は故渡邊先生の京都大学時代に助手をされていたので、清水先生は故渡邊先生の孫弟子に当たる。

清水信義先生

『とにかくロータが重かった。女性研究者のためにロータを運んであげたりして・・縁結びの役をあの重いロータはしていたかもね。』

「超遠心機はDNA、RNAとかウイルス、特にバクテリオファージの研究やタンパク質の精製などに使用されていた。大量にモノ取りをするのに不可欠だったんだ。塩化セシウム超遠心分離法でDNA、RNA、ファージをきれいに精製する常套手段だった。一方で、2重らせんDNAのクリック鎖、ワトソンチェーンをポリIやポリTと混ぜて分離し、mRNAはどちらの鎖から転写されるのかを、ハイブリダイゼーション法でみる、といった難しい技術もやっていた。何十時間もぶんぶん回してね。」分子生物学の草分け、ワトソン博士とクリック博士が、1953年にDNAは2重らせん構造であるとの世紀の発見を科学雑誌『Nature』に発表し、1964年にはノーベル生理学・医学賞を受賞したが、世界的に分子生物学が脚光を浴び、さらなる研究が発展していくきっかけとなった。つまり、超遠心機の歴史は分子生物学研究の歴史と共に歩んできたといっても過言ではない。「ショ糖密度勾配法は、かなりのスピードでロータを遠心して主にオルガネラの精製に用いられてきた。この時、スウィングロータを使用するのだが、ロータからサンプルの入ったバケットを取り出すのに、揺らしてしまってせっかくの密度勾配を乱してしまってまたもう一度、なんてこともあったね。今は、トップ・ローディングロータっていう簡単着脱のものがあるようだけどね。大変なのは、超遠心機のロータは非常に重かったから、女性の研究者がロータを使うときには気のいい男性陣がお手伝いをして点数を稼ぐという、縁結びのきっかけになった例がたくさんあったね。」と清水先生は語る。ロータは金属製で、大容量を回すロータは特に重かった。現在は、卓上型の超遠心機もあり、ロータの軽量化が図られたため、縁を取り持つ役割は無くなった。

『退官を機に、ジェームズ・ワトソン博士から“Congratulation”レターをもらってね。』

清水先生は、慶応大学医学部教授を2007年3月に退任され、慶応大学名誉教授となられた。清水先生は1971年から米国へ渡っている。カリフォルニア大学、エール大学博士、研究員、アリゾナ大学の教授を歴任後、1983年に慶応大学医学部の分子生物学教室の教授として帰国された。以来、ヒトゲノム解析の第一人者として日本をリードされてきた。1999年には22番染色体のゲノム解析を世界で初めて完了し、545個の遺伝子を発見した。2000年には21番染色体の解読も完了し、225個の遺伝子も発見している。アメリカ在職期間が12年ということもあり、世界の名だたる研究者と今も交流が続いている。「ジェームズ・ワトソンからこの間、退任のお祝いをもらったんだ。Congratulation!!って。『自分は78歳だ。78歳でまだ現役でがんばっているからお前もまだまだがんばれ!』って、今の時代、E-メールで来るのが普通だけど、ちゃんとご自分でサインして、記念になるレターでっていうのが粋で、感謝感激でしたよ。」清水先生は、スタンリー・コーエン博士(上皮成長因子(EGF)を発見して1986年にノーベル生理学・医学賞を受賞)とも交流があり、このインタビュー(2007年5月)の直前にもアリゾナ大学で講演を行い、コーエン氏の来訪を受けている。

『ウイルス学がある限り超遠心機は使われる。』

技術の進歩により、超遠心機の使用頻度は確かに落ちてきている。しかし、代わりに卓上で小回りの利く超遠心機がBACDNA、ウイルスやタンパク質の精製などにまだまだ活躍している。「ウイルスの精製などは超遠心機が最も有効だから、ウイルス学研究が盛んになればもっと超遠心機は活躍するはずだ。しかし、現状はウイルス学自身が絶滅しかかっており、非常に嘆かわしい限りだ。だからあちこちでウイルスの攻撃を人類は受けていると思うね。ノロウイルス、HIVやSARSなんかにね。先端的な新しい発見をするチャンスが少なくなっているから研究者は遠のくと思うが、絶対に無くてはならない学問なんだ。ひょっとして、ウイルス感染で人類は滅亡するかもしれないね。」生物学・分子生物学でモノをきれいに採るには、やはり超遠心機がまだまだ必要とされている。

『まだまだ現役。ゲノム解析の続行と産学協同開発研究』

清水先生は慶応大学先導的研究所のGSP(ゲノム・スーパーパワー)センターを立ち上げた。今までのゲノム解析の情報を基に、今度は医療に応用する研究を続ける予定だ。「ゲノムに秘められた固有の生物が持つスーパーパワーを探索して、学問的および社会的に貢献する。破格の人たちだと思うけど、ノーベル賞受賞者じゃなくても80歳過ぎて頑張っているサイエンティストは欧米には大勢いるんです。若い人たちに負けないように。私が若いときからやりたいと思っていた夢はまだ沢山ある。それを実現していくんだ」と、目を輝かせて清水先生は語る。

先日、清水先生の思いのこもった1963年製のベックマン 超遠心機Model Lをベックマン・コールター社に寄贈していただいた。世界で初めての分光光度計、pHメータ、そしてコールター博士の世界で初めてのコールターカウンターと並んでベックマン・コールターの歴史を飾る一ページとして、有明本社のビジョンセンターに展示させていただく予定である。『こんなに大仰な装置を使って、分子レベルの画期的な研究をしていた。小型で自動化された便利なものに取り替えればいいというわけではない。必要なのは情熱なんだ。』と次世代の研究者へ熱いエールを送る渡邊先生と清水先生の“思い”を込めて。

1963年製のベックマン 超遠心機Model L
1963年製のベックマン 超遠心機Model L

実は、2007年5月に渡邊格先生へのインタビューが予定されていました。一号機に対する想いを直接伺うことができず残念でした。渡邊格先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

本インタビューに快く応じてくださった、ヒトゲノム解読に多大なる貢献をもたらした清水信義先生が 2015年6月にご逝去されました。清水先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。